2014年2月15日土曜日

文楽

大阪日本橋文楽劇場−1月公演に先月ご招待頂きました。源平布引滝が上演されました。凡人で文楽を語るには程遠いのですがお人形を使い心情を表現させる,苦悶の表情を浮かべ、悲しみを漂わせ、喜びを表す人形の演技に見入り、三味線の響き、太夫の語りに耳も心も奪われた時でした。舞台裏まで見せていただきました。


2014年2月13日木曜日

エリン.ワッソ

メイベリンのモデルをしていたErin Wasson がドクターピユアラボ商品を気に入ってくれたらしい。昨年末には一緒にHAPPY NEW YEAR を迎えた。とても気さくな人でドアを開けて彼女が入って来た時に既にオ=ラを感じた。紹介される前に写真撮ってしまった。でも笑ってくれた。

1996#3アメリカで英語を話す

子供達はたくましかった娘13歳,息子12歳。春から2ヶ月程のサマースクールに通い、9月からエレメンタリスクール、ジュニアハイスクールと元気に飛び出した。1年後のあるひ1年で英語が話せる様になった日本人がいるという事でCHICO-CITYから教育委員会の人が訪ねて来られるほど2人の英語は上達した。 友達がたくさん出来たから友達のおかげだね。先生達も協力的だった。6年後スクールを訪ねたら先生達は覚えてくれたという,良い人たちに恵まれていた。エピソードはつきなく山ほどある。
後で聞いたら母国語の言語能力が確定した年頃、10歳から13歳ぐらいの間に第2外国語を習得するのが丁度良いらしい。あまり早すぎると忘れてしまうそうだ。又遅すぎると今度は発音が習得が難しいとか。
後にアーバインに引っ越したとき日本人の学生が多く,何年もいるのに話せない子もいて日本人がグループになってしまうのでなかなか言語の習得が難しいのだろうと思った。娘と息子の場合、理解してもらいたい,理解したいと脳が活動したようで1年でその年令レベルの言語を習得したと言われた。私はCHICO大学に通いながら日本語を教えたりしていたが大学には日本人の学生もおり言い訳ががましいがなかなか上達しなかった。とにかくいい時期にアメリカに行ったのだと思う。子供達の英語は完璧。日本語の勉強も続けていたので、英語の小説を読む時は英語で考え,日本語の小説を読む時は日本語で考えるそうだ。夢も英語の時と日本語の時があるという。昨今2カ国語より3カ国語、4カ国語と言われているらしいが完成度はどうなんだろうね。
              
 私はある日公園に車を止めて用事を済ませ車のところに戻るとCITY-OF- CHICOから何やら書いた物が車のフロントにおかれてあった。持ち帰り辞書で調べながらよむとCHICO警察から駐車料金がキチンとおちていないと支払う気はあるようなので今回は見逃すが今後はお金を入れたらバーを押す様にという親切なアドバイスでした。CITY-OF-CHICOが警察だとは知らなかった。市役所が何の用事があるのだろうと思ったほど。又バーを押さないとだめな事も本当に知らなかった。毎日学ぶ事が多かったな。  街の人たちはあくせくしていなくて夕方5時過ぎには家族と公園の芝生で夕食をとったり,ゲームしたり,平日なのにと不思議におもったが皆明るくて親切で大好きな街だった。CHICO 1996/4月から10月頃         


2014年2月5日水曜日

ドクターアング化粧品からドクターピュアラボ化粧品「DRPL」シリーズ

ドクターアング考案の化粧品は30代後半の女性達に向けて「若いころの、ファンデーションをつけなくても美しかったあの素肌を取り戻してほしい」というコンセプトのもとに、アメリカでオバジに次ぐドクターズコスメ化粧品として2002年に発売されました。

グリコール酸を代表とするAHAやレチノイン酸、ハイドロキノンなど効果の高い医薬品成分が含まれています。


これらの有効成分は細胞の新陳代謝を活性化し,健康的な皮膚の再生を促進、シワを改善する他角質除去を促進し、シミなどの色素沈着を改善する化粧品として爆発的にヒットしました。

2014年1月29日水曜日

ドクターアング

ドクターオバジの化粧品は 当時は個人輸入で日本から求めることが出来ました。

2000年のある日、ドクターオバジの関係者から「日本の薬品会社がこの権利を買おうとしているが、君にもし権利を買うことが出来るなら最初にその機会を与えたい」と言われました。

しかしその薬品会社は日本でも大変有名な大きな企業で私など相手にもなりません。

青山フィアットカフエ




ITALIA INDEPEDENTのサングラスオープンパーティでアメリカ時代の友達とジョイントパーティ  青山のフィアットカフエにて。
懐かしい人達の楽しい夜を過ごしました。建築家のダイスさんアメリカのコダック・シアターの建築に携わった方ですがその頃、彼は若干20代の若者でした。久しぶりにお会いしたその人は世界で有名な建築家の一人になり、素敵な男性になっていました 

ハリウッドで大活躍の徳永優子さん

今年になってから素晴らしい方々とお目にかかれる日が続いています。アメリカでヘアーサロンを4店舗経営、美容スクール経営、ご自身は映画、T番組のヘアー、メイク、着付けをされている徳永優子さん。とても華奢な少女のような方なのですがあふれる程の美に対しての情熱を感じました。キーヘアースタイリストとして4度のエミーショー、ノミネート。THIS IS IT.DREAM GIRL. PIRATES OF THE CARIBBEAN を手がけられています。2001年に37歳で新天地を求め子供を連れて渡米されたそうです。驚いたことは映画『SAYURI』で着物のスタイリングを担当されたのですがコダックシアターで盛大に開かれたプレミアショーに実は私も招かれレッドカーペットをスター達と歩きパーティまで参加していたのです。映画好きの私にはハリウッドスター達とのパーテイは今でも夢のような出来事です。一瞬ですが素晴らしい方達と同じ場所にいたのだと思うと。人生は振り返っても面白いですね。