2014年12月17日水曜日

太っていた昨年の私。


衝撃の写真
昨年の私10月中旬代官山のヘアーサロンSHIMAにて 
ヘアーメイクUPアーティストのSachikoさんと。
こんなに太っていたとは当時は怖くてみれなかったのかもしれない。
あの頃から1年後私は7キロやせて 洋服のサイズもダウン、綺麗になった
若返ったとも言われる。ただやせるだけでなく美と健康と自信を手に入れた。
今年10月に女優の夏樹陽子さんと東京リッツカールトンで撮った写真を次回アップします。
覚えておかねば怠慢な生活をしていると身を挺して教えてくれる私がいる!

2014年10月14日火曜日

7キロ痩せた!痩せただけでなくたくさんの健康を手に入れた。最高!

5月の初旬食欲が無いのに食べようとしている自分に気がついてしまった。
ストレス解消とばかり見境無く 過ごしていたらいつの間にか 10キロ近く体重オーバしていた。逆に太った事が最近はストレスになりつつあった。本当に食べたいのだろうか チヨット頑張って 取りもどしてみないと自分に問いかけてみた。奇跡の?5歳を目指すのではないの?もう終わりなの?  いえいえ、もう少し頑張りたい、自分を信じたい、ならば どうせ痩せるなら美しく痩せなければと少し工夫してみたら10月になった時
(1)7キロ痩せていた。どうしても取れなかったアゴ周りがスッキリした。
   若い時の理想体重より3キロ増えているぐらいがこの歳の理想体重らしい。それに   あと1キロと近づいた。
(2)同時に血圧が安定し お薬を飲む必要がなくなった。主治医の澤井先生が1番驚ろ  かれた。信じてもらう為に毎日朝晩の血圧を2ヶ月間測定し見ていただいた。一石二   鳥ですね、と先生。
(3)動物並みの嗅覚と言われたが自分の体臭がなくなった
(4)腰痛がなくなった。これも凄くありがたかった。
(5)朝のだるい疲れがなくなった。以前は目がさめたことが苦しいと思うこともあった のに 昔のように朝だ!と起きれるようになった事。
すごい痩せることで5つもいいこと手に入れることができた

どうせ食べるなら美に関するものをと、食欲がなかったのでトマトを軽く炒めて
 食べることにした。夏の暑い日するりと身体にとけ込んでいったトマト。
トマトに熱を加える事で抗酸化が増すのだそうだ。私の祖母は105歳で亡くなったが
夏のランチはもぎたてのトマトといいながら食べていたのを思い出した。綺麗なおばあちゃんでした。
 結局週に30個からのトマトを食べることに為り、これが3ヶ月続いた。
 徐々に食欲も戻ってきたので 甘いモノが食べたいときはヨーグルトに蜂蜜を加えたり野菜やお肉を加えて栄養が偏らないように考えてみた。
 朝はコーヒーと甘いパン、ランチも食欲がないときはバナナとヨーグルト、食欲のある時は厳選された野菜、お肉を使った淀屋橋近くにある自然食のお弁当。夜はレストランもマーケットも閉まっているのでトマトと卵を炒めるなど。調味料は塩のみ。
食欲のないのは1時的なものだったようですぐに空腹を感じるようになったが 納豆を食べたり、りんご、トマトを細く切って食べることにした。
9月にはいるとさすがトマトは見るのも嫌になったので いかりスーパーの朝市に何十年ぶりかで行って、ピーマン、キュウリ、オクラ、なすびなど季節の野菜を多く取り入れる事にした。ビーガンではないのでお肉、魚はよく頂きました。
食べ過ぎないことが大事!食べることでストレス解消なんてますますストレスを生んでしまう!また この歳になるとダイエットもやり過ぎると醜い。まず自分を知ることが大事!

ストイックに決めたわけではなくて時には 五感のケーキも。
私の事を気遣っての周りの優しさを断ることができなかったから 時々の差しれのスイーツも週に1度は美味しく頂いた。それがとても力をつけてくれた。優しさに感謝!
他に気をつけたことはなるべく
*ヒールを履いて歩くこと。
*美しい人の写真を見ること

*大きく呼吸をすること。
*毎朝鏡に映る自分に綺麗!と声をかける事
*月に2回はエステサロンに行くこと
10月に入った頃、エステシャンにもう体重を落とすのは止めましょう。これからは引き締めていきましょう!と言われ メンタルを鍛え、心身ともに健康になるためヨガ、ピラティス、ジャイロ、大人バレエのいづれかを11月から始める予定。
アメリカで暮らしていたあの頃は有酸素運動、無酸素運動を中心としたジムに通いながら3ヶ月間で10キロ減量した事があるが あの頃は若かったのね。年齢とともにダイエット方法も変えないといけないんだ。
奇跡の?5歳を目指して頑張ろう! 他にもいろいろ工夫はあるけどね。ここまでにしておこう!


2014年9月2日火曜日

息子の結婚記念日


1996年の春 小学5年生だった息子はボストン、バークリー音大を卒業
2010年 Aiちゃんと神戸で結婚式をあげ、今年で4年目を迎えた。
結婚式には中学、高校、大学の友人がアメリカから来てくれた素晴らしい結婚式だった。
アメリカに行った日から今年は18年め。
時が過ぎていくのは早い、大事にこれからも生きていこう!

2014年8月27日水曜日

Karlの息子Markの結婚




その昔アメリカに住んでいた頃 シアトルに住んでいた2003年頃知り合ったドイツ人
Karl,,彼の息子Markの結婚式の写真が届いた。
その一週間前にKarlから息子が来週結婚すると知らされていた、そしてそのあとに僕の気持ちは変わっていないと。
1度は残りの人生彼と暮らすのも悪くないと思った事もあったが、2006年母の介護と仕事の事で日本に帰国した私にはその余裕が無かった。いつの間にか10年近い年月が過ぎていた。今でも変わりなく、、。というのは一瞬嬉しかった。でももう第2の青春も終わった。
ただあの頃高校生だった彼が素敵な男性になり素敵な方と結婚した事は当時のかすかな恋心を思い出させてくれた。
確かにあの頃私の第2の青春まっただなかだった。懐かしい!

2014年8月13日水曜日

HAPPY BIRTHDAY !

お誕生日を社員の皆さんに祝ってもらいました。もうすぐ出産で休職中の子も来てくれて
誕生日なんかと毎年言う私ですが  嬉しかった。お花ととても美味しい五感のバースディケーキ焼きたてだったそう。そしてデッサン画。恥ずかしかったけど、ふと母が私を生んでくれた母が喜んでいると感じた。母さん見てくれてる!嬉しいね。
今日の日を感謝、誕生に導いてくれた母に、祝ってくれる全ての人にありがとう!
これからも豊かな日々でありますように!

2014年5月25日日曜日

LASKAデビュー!

18年前アメリカに私が連れて行った息子と娘。
今年の5/21日娘がLASKAという名で
日本デビュー!
あの時 数年後には高校受験も控えているからと私の父は頑固に反対したが、母は行っておいで、この田舎からアメリカに行くなんてなかなか思いつかないことだと。チャンスだと。
私という優しい娘とかわいい孫と離れるのは母も寂しかったに違いない。
でも一言も自分の気持ちなど言わず先を見つめていた強い人。母を見送り2年、私はあの時の母の年齢にちかづきつつある、母さん寂しかったよね。気がついてあげられずごめんなさい。
あの時連れて行った娘がLASKAという名でデビュー!今夜もワインを飲みながら歌を聞こう!嬉しいね、母さん!


2014年5月11日日曜日

母の日には赤いカーネーションがいいと言った母

母の誕生日、母の日と何かにつけて 私は花好きの母のために素敵な花束を贈り続けてきた。日本に久しぶりに帰ってきたある日、直接お花を渡せる喜びに 母の日に大きな、豪華な花束を抱えて帰った。さぞかし感激してくれると思ったのに 母の反応は「綺麗ね」のひとことだけ。
「お母さんこの花束素敵でしょ!高いのよ、喜んでくれないの?」
母は「私はね7歳で母がなくなったでしょ、その頃学校でみなで白い紙でカーネーションを作っていたの。その日先生ができた人から赤い絵の具を塗りましょうと入ったの。でも私には雪ちゃんお母さんいないから白いままでいいよ。と、私はなぜ私に母がいないのか、悲しくて泣きながら帰ったの。毎年辛かった。赤い色に染められていくカーネーションが欲しかった。その時から白いカーネーションがきらいなの。私は母の日には赤いカーネーションがほしいの」「まあそうなのカーネーションなら安上がりでいいわ」と母に言いながら 涙が止まらなかった。幼い少女になんてひどい言葉をいうのだろうか!
その時から私は悪気はないけど言ってしまったという人の弁解を聞くのが大嫌いになった。