2014年2月13日木曜日

1996#3アメリカで英語を話す

子供達はたくましかった娘13歳,息子12歳。春から2ヶ月程のサマースクールに通い、9月からエレメンタリスクール、ジュニアハイスクールと元気に飛び出した。1年後のあるひ1年で英語が話せる様になった日本人がいるという事でCHICO-CITYから教育委員会の人が訪ねて来られるほど2人の英語は上達した。 友達がたくさん出来たから友達のおかげだね。先生達も協力的だった。6年後スクールを訪ねたら先生達は覚えてくれたという,良い人たちに恵まれていた。エピソードはつきなく山ほどある。
後で聞いたら母国語の言語能力が確定した年頃、10歳から13歳ぐらいの間に第2外国語を習得するのが丁度良いらしい。あまり早すぎると忘れてしまうそうだ。又遅すぎると今度は発音が習得が難しいとか。
後にアーバインに引っ越したとき日本人の学生が多く,何年もいるのに話せない子もいて日本人がグループになってしまうのでなかなか言語の習得が難しいのだろうと思った。娘と息子の場合、理解してもらいたい,理解したいと脳が活動したようで1年でその年令レベルの言語を習得したと言われた。私はCHICO大学に通いながら日本語を教えたりしていたが大学には日本人の学生もおり言い訳ががましいがなかなか上達しなかった。とにかくいい時期にアメリカに行ったのだと思う。子供達の英語は完璧。日本語の勉強も続けていたので、英語の小説を読む時は英語で考え,日本語の小説を読む時は日本語で考えるそうだ。夢も英語の時と日本語の時があるという。昨今2カ国語より3カ国語、4カ国語と言われているらしいが完成度はどうなんだろうね。
              
 私はある日公園に車を止めて用事を済ませ車のところに戻るとCITY-OF- CHICOから何やら書いた物が車のフロントにおかれてあった。持ち帰り辞書で調べながらよむとCHICO警察から駐車料金がキチンとおちていないと支払う気はあるようなので今回は見逃すが今後はお金を入れたらバーを押す様にという親切なアドバイスでした。CITY-OF-CHICOが警察だとは知らなかった。市役所が何の用事があるのだろうと思ったほど。又バーを押さないとだめな事も本当に知らなかった。毎日学ぶ事が多かったな。  街の人たちはあくせくしていなくて夕方5時過ぎには家族と公園の芝生で夕食をとったり,ゲームしたり,平日なのにと不思議におもったが皆明るくて親切で大好きな街だった。CHICO 1996/4月から10月頃         


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