2013年12月29日日曜日

青い鏡


     
貴女のように年を重ねたいと言ってくれた若い女性から素敵なブルーの縁取りの鏡を頂きました。
Franceの画家の作品だとか。その前にお気に入りのラスカのツリーを飾りました。

美しく年を重ねるということはどういう事なのだろう。充実した健やかな毎日を送れるように 心がけることが習慣となり 肌に力を取り戻し、スッキリした体が好きな服を着こなし自分に自信が持てるようになれば、微笑みも浮かび、周りの人にも幸せオーラが届くのだろう。

自分を磨くことを幾つになっても忘れないようにしていきたい。

2013年12月28日土曜日

雑誌

                             DRPL

      今年もたくさんの雑誌に取り上げられました。
       綺麗になろうという意識を常に持って
         日々物事に取り組んでいきたい。
         心も体もバランスよく
         美しく年を重ねて行けたらと思う。

2013年12月26日木曜日

Christmas



Merry Christmas.
May all the joys of Christmas fill your home with happiness,love,and warmth.
                                                                                                                         

                                 

2013年12月23日月曜日

Life In USA #2

Chicoでの生活は毎日が驚きと冒険の日々
スクールが始まる初めての朝、ガ−ガ−音がするので窓からストリートを見ると子供たち
がローラスケートでスクールに通っている姿がありました。
これは大変だ!ということで子供たちはそれからは毎日ローラスケートの練習を始めなければならなかった。日本では田舎で暮らしていたこともあったが道路で子供がローラスケートしている姿を見たことがなかったので驚いてしまった。
平日は家の周りで練習、スピードになれるために室内ローラスケート場でも時間さえあれば練習しました。 言葉も通じない毎日 子供たちは頭も体もフル回転しなければならなかった。とてもハードな日々だったと思う。




         
私は車でガスステーションへ行く、SAEEWY MARKETへ行く、街へ出るストリートを覚える、銀行へ行く、CHICOモールに行く少しづつ行動範囲を広げることに夢中の毎日を送った。

GPSはなかったので地図だけが頼り、ややこしい地図を見るのは苦痛ではなかった。1つづつ克服できる喜びがあったからだと思う。
街の一方通行を逆走したことも、一瞬パニックになってしまったが。その時周りの人が車を止めて私の行くべき道を指示して、助けてくれた。次から次へと不安なことばかりだったがCHICOの人たちは笑顔でいつも助けてくれた。
1ヶ月半位たった時、娘が寝言でI don't careといった時その声で飛び起きた。

2013年12月19日木曜日

アメリカで出合った3人のドクター

私は幸運にも3人もの著名なドクター達にアメリカで出合えたことが、この化粧品の源だと思っている。
ビバリーヒルズのドクター、ドクターペリコーン、ドクターアング。

子供がスクールに行った後、私はいつもの本屋さん Bames&Noble  .(バーンズ&ノーブル)に行くのが好きだった。
そこはソファーがおいてあり、自由に好きなだけ本が読める私の大好きな場所。
トイレもあるしカフェもあるし、1日だって過ごせる。
子供の絵本のコーナに読み聞かせの人が居るぐらい。

そこで "The wrinkle cure" ドクターペリコーン著を見つけた。NEW YORKタイムズに取り上げられた美肌革命の。それしかわからなかったが、肌について重要なことが書いてあるに違いないと思った。オレンジカウンティにも、セミナーで博士が来る事を知り、
会いに行きました。写真は撮れなかったが大きな手でしっかりと握手して頂いた。

その後日本に帰国したとき紀伊国屋で訳本を見つけた時の喜び、
それからこの本は私のバイブルになった。



2013年12月18日水曜日

化粧品(しみ)凛と生きていきたい。

世界で最初に肌再生理論なるものを発表されたアメリカの著名なドクタ−のところには、日本や韓国からもドクター達が勉強に来られていました。

私は何時のころからでき始めたのか、子育てが一段楽ついたころには右頬に大きな盛り上がった丁度大きいスプーンをひっくり返したようなシミがありました。左の頬にも点の様に出来かけたシミがありこれも大きくなるのかなと不安でした。

ファンデーション(シミを隠すのに最適と言われたカバーマーク)で首と顔に差があるよと言われる程隠していました。
かなり綺麗になった頃撮ったもの
手にも斑点の様にシミがあり、ふと可愛い赤ちゃんねと触ったとき、側にいた娘が
「ごめんなさい、私の母のシミはエイジスポットだから気にしないでください」
と謝っているではないですか?

2013年12月17日火曜日

エリザベス・テーラー


ハリウッドヒル(山の中を中腹あたりから豪邸が立ち並ぶ)へと続く道の途中にー小さなお店があって(ハリウッドで1番古いらしい)、食料品から,日用品、コーヒーも飲めるような何でも屋さんみたいな。そこのレジの奥に10代の頃のエリザベステーラの実写真が飾ってありました。本物?と聞くと,そうだよ、若いころは毎日来てたよ。
その写真ほしいわ。
いくらBeautiful ladyに頼まれてもそれは無理さって言われました。
例えようもないくらいの美少女でした。
断り方もいいね。

2013年12月15日日曜日

肌再生理論に基づく化粧品との出会い

私がこの肌再生理論に基づく化粧品に出会ったのはアメリカだった。
アーバインの美容室で「このシミさえなかったらあなた綺麗なのに」と言われた一言で気がついた。

ファンデーションでも隠し切れないほどのシミなのにすっかり諦めて、見ないことに気づかないことにしていた私。すっかり諦めていたシミなのに鏡の前でなんと鮮やかに見えたことだろう、取れるの?本当に綺麗になれるならなんて幸せなことだろうと鏡の中私を見つめた。その時すでに45歳。

彼女の紹介してくれた病院では結局シミは取れなかったがその話を聞いた美容師の友人がビバリーヒルズにある別の病院を紹介してくれた。世界的にも有名だったドクターは他の病院では綺麗にならなかったというと「申し訳なかった。つらい思いをさせたね」と言ってくださった。

だから私はもう1度と希望を持つことができた。化粧品で綺麗になれるなんて想像もすらしていなかった。始めて使用した日の夜中に飛び起きて顔を洗ったほど。

始めてのアメリカ 1996#1

始めてアメリカ本土に行ったのは1989年仲良し家族と共に行ったディズニーランドの壮大さに驚いた。

CHICO STATE
2度目は1994年の夏の2ヶ月間私と子供2人でアメリカを旅した。
日本のうちにホームステイで来たCHICO STATE の大学生ジェニーとジーナがカリフオルニアのロスからサンフランシスコ、チコまでの壮大な距離を車で案内してくれた。
今思えばまだ小学生の子供と若い女性と何て無謀なことしたのだろうかと思うだが、、。

それがきっかけで2年後の1996年にはアメリカ移住することになる。どうしても移住しなけらばならない理由があった訳ではないが この壮大なアメリカに住む事が出来たらとそのとき漠然と考えた事を覚えている。

1996年春に、英語もろくに話せない3人でカリフニオルニア州の北部、州都サクラメントから車で1時間北上したところにあるCHICO STATE のある小さな街CHICOに住み始めた。

子供達はサマースクールへ通い,9月から地元のマクマナスエレメンタリスクールとビッドウエルジュニアハイスクール通う事になった。私はソウシャル、セキュリティ(社会保険者諸番号)を得て車の免許を渡米半月でとる事が出来た。運転は子供の送迎の為に必須科目、1度の挑戦でとる事が出来たのは私にしては快挙だった。これから大変な困難な日々が始まるなんて,気楽な私は考えもしなかった。当然予測出来たはずなのに 3人共英語も話せないのに、不安よりも青い空とアメリカの人々の笑顔は私たちに勇気と希望を与えてくれた。
既にそのときジーナもジェニーも大学を卒業、飛行機で3時間も離れたサンフランスコに住んでいたので頼れる人もいなかった。42歳の私は若かったのだろうか、カリフオルニアパークという小高い丘に屋根がブルーの白い美しい家を見つけた。
Plumwood street。
今でもあの美しい家はあそこにあると聞いた。
私たち3人が最初に覚えた英語は May I use your rest room? それだけを覚えて街に出た。

2013年12月13日金曜日

ブログを始める



事実は小説より奇なりというけれど
私の人生も、もれずにそれなりに数奇な時をくぐって来たような気がする。

とても大変だった事も、今思えばたくさんの見知らぬ人々に支えられ今では良き想い出。素晴らしい人たちに出会い、経験となったこの幸運にひたすら感謝したい。

ブログはいろんな形で始めたり止めたり、
でもどこかに私の足跡を残しておきたいと想いが強くなり
頑張って始める事にしました。

希望の光

このブログは、肌再生理論化粧品「ドクターピュアラボ」を立ち上げた香山ひとみの美容に関する記事や日々の事を綴ったブログです。
シミ・しわ・そばかすなど、ファンデーションで隠すだけとあきらめている多くの方に、ひどかった私のお肌が、アメリカのドクターズコスメに出会って再生するまでのストーリーを知っていただけたら幸いです。
肌再生理論に基づく化粧品との出会い
化粧品(しみ)凛と生きていきたい。
アメリカで出合った3人のドクター
ドクターペリコーン
ドクターオバジ&美肌、ブルーピーリング
ドクターアング
ドクターアング化粧品からドクターピュアラボ化粧品DRPLシリーズ
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